新古今和歌集。
「新古今和歌集」は後鳥羽院が、選者に命じて選ばせた優れた和歌を、更に選び直すと言う念を入れた編集をした歌集であります。全20巻でおよそ2千首の歌が収められていますが、歌集の巻頭を飾るのは、藤原良経(ふじはらよしつね)の春の歌。「み吉野は、山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり」吉野は山も霞んで、ついきのうまで雪のあった里、遠いむかし離宮のあった里だが、其の里にも春が来たのだ。」と歌っています。「新古今和歌集」で最高の歌数を誇るのは西行法師で、自然を旅する歌人らしく、人間味溢れる歌が沢山選ばれています。また、この歌集に大変な情熱を示した後鳥羽院は、「のびやかに見わたせば、山もと霞む水無瀬川(みなせかわ)。夕べは秋と何思いけん」山のふもとに霞む水無瀬川のながめは素晴らしい。夕方の眺めは秋に限るなどと、どうして思い込んでいたのだろう。と歌っています。まず「新古今和歌集」の編集するにあたって選者として、・源道具(みなもとみちとも)・藤原有家(ふじはらありいえ)・藤原定家(ふじはらてぃか)・藤原家隆(ふじはらいえたか)・藤原雅経(ふじはらまさつね)・の5人が指名され、彼らは歌人の身分を問わず、優れた歌を公平に選びだしました。後鳥羽院はそれらの歌にことごとく目を通して改めて自分で選びなおしましたが、其の作業では後鳥羽院は、選ばれた歌の全てを暗記したと言はれています。また、「新古今和歌集」に選ばれた歌人の総数は、作者不明の詠み人知らずの歌をのぞいて、約396人と言う数に成っています。このなかで、最多の歌数を誇るのが、西行法師で、94首が選ばれていて、続いて慈円の92首、藤原良経、(よしつね)79首、藤原俊成(しゅんせい)72首、式子内親王(しょくしなぃしんのう)の49首、藤原定家(ていか)46首、藤原家隆(いえたか)43首、寂蓮(じゃくれん)35首、後鳥羽院(ごとばいん)33首、紀貫之(きのつらゆき)32首という順番で、これらが主な歌数と作者であります。此の「新古今和歌集」が編集されたのは、源平の戦いが終わり、源 頼朝が全国統一を果たして、鎌倉に武家政権を建てた頃でありました。後鳥羽院はこの歌集が出来た後に、鎌倉幕府を倒そうとして、承久の乱を興したが、敗れて隠岐に流されて幽閉されています。画像の、上野「国立西洋美術館」の野外に展示されている「地獄門」は、オーギュスト・ロダンが1880年。フランス政府から「パリの新しい美術館の門を作って欲しい」と依頼されて、ロダンの心をとらえたのは、ルネッサンス期の詩人ダンテの「神曲」に描かれた「地獄の世界」の物語。其れをモチーフにしたものでありました。「地獄門」では地獄に落ちた約200体の亡霊を現していますが、其の上段の「考える人」は地獄の光景を表現しています。
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コメント
黄昏さん こんばんは
すっかりご無沙汰してしまいました。
ときどきはご訪問しておりましたよ。
でも、黄昏さんのブログは専門的で、
読みこなすのが大変でしたが、
やっと、時間ができて、また、勉強させていただきました。
投稿: 貴市呉いちご | 2007年2月20日 (火) 21時54分