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2007年2月 3日 (土)

ロダンの「考える人」

Dscf0340 黄昏夫婦で、上野国立西洋美術館に「ベルギー王立美術展」を見に行きました。ベルギー王国が世界に誇る美術館は1801年に設立されてから、200年以上の歴史を持つと言はれています。1600年代のヤコブ・ヨルダーンスの「飲む王様」と、ビーテル・パウルルーペンスの「聖ペネディクトゥスの奇跡」を始めとして、1800年後半のフェルナン・クノップフ「ジェルメール・ヴィナーの肖像」ジェームズ・アンソールの「燻製ニシンを奪い合う骸骨たち」のオールドマスターの素晴らしいベルギー美術の粋を集めて開催された、名画の数々に魅了された時間と空間を持てました。さて、国立西洋美術館には彫刻家オーギスト・ロダン「地獄門」「カレーの市民」と共に、有名な「考える人」が展示されていますが、画像のこの作品は最初から一体の独立した作品では無くて、ロダンが、40歳から制作を始めて、37年間を費やして組み上げた「地獄門」の一部でロダンは長い年月。自分が体験し考えた、さまざまな罪や苦悩をこの門に刻みました「地獄門」の制作に入った頃に、ロダンは一人の女性と出会いましたが、其れは19歳の若く美しいカミーユ・クローデルで彫刻家を志していました。クローデルの才能を認めたロダンも彼女を「地獄門」の制作の助手としましたが、当時、ロダンには長年連れ添った内縁の妻がいました。彼は親子程も歳の離れたクローデルに強くひかれてゆき、そして、二人で過ごす為の共同のアトリエを借りて新しい生活を始めました。二人が共同生活を営んだ年「フランス芸術家協会」のサロンで1905年に、カミーユ・クローデル「シャクンタラーと言う作品が、高い評価を得ましたが、ロダンと暮らす日々でクローデルは、自分を抱き留めて欲しいと言う願いは、叶わないものと気づきました。一方、ロダンクローデルと過ごしている間にも、内縁の妻に手紙を送り「愛する本当の友は貴女だけ」と綴っていたので、恋人の心が自分にない事を知ったクローデル「熟年」(分別盛り)と言う作品で捨てられた自分の哀れな姿を突き放して見つめて、過去の自分と決別しょうと、ロダンに別れを告げましたが、ロダンのもとを去ったクローデルは、その後、精神病を患い、二度と社会に出る事も無く、寂しくこの世を去りました。一方、ロダンは心の痛みを振り払う様に「地獄門」の制作に没頭して行きましたが、何時までも完成しない作品に依頼主の政府からキャンセルされ、ロダンは行き場の無くなった「地獄門」を、自らの為に人生の日記として彫り続け、1917年、ロダンは77歳で生涯を閉じました。其れは「地獄門」を組み上げた直後の事と言はれています。

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