俳人小林一茶。
小林一茶も全国を放浪しながら俳諧修行や俳句の教授で、生計をたてて来ましたが、そんな彼も50歳を過ぎると、余生を信濃国柏原村で過ごそうと帰って来ましたが、独り身が寂しく52歳の時に28歳になる「菊」
と言う名の女性を妻に迎えました。この時。小林一茶は初婚で、妻になる「菊」
は、新田赤川の常田久右衛門の娘でした。「50婿、天窓〔あたま〕かくす扇かな」
これは一茶の句ですが、歳を得て妻を娶った事を気恥ずかしく感じていた様でした。只、日記には自分と妻の歳の差から野山へ入り強精になる薬草を探したり、蛇の黒焼きを求めた記述が見られ、若き妻を得て毎夜が楽しかった様子が目に浮かびました。
さて、一茶夫婦に子供が出来たのは、2年後に生まれた男の子。「千太郎」でしたが、生後わずか28日で早世しています。だが、再び「菊」
は懐妊して、長女「さと」
が誕生します。一茶はこの娘を溺愛するが、幾つか言葉を覚えた頃に痘瘡に罹って、夭折してしまい、此れには一茶の悲しみも深く、娘の死を悼んだ文を「おらが春」に書きこんでいます。「おっむてんてんや、
頭を左右に振る仕草を喜び、いたずらが大好きで、
・・・踊りの声がすると、調子に合わせて踊ってもいた。
」と書いていますが、此れには一茶の回想を読むと胸が熱くなります。次男の「石太郎」が誕生しますが、其の年に一茶も中風で倒れ、その後どうにか翌年には、症状も回復へ向かいますが、「石太郎」も「菊」
の背中で窒息死しています。
今度は、何と妻の「菊」
が、だんだん弱っていったので、実家に帰して看病して貰いましたが、吐瀉が続いて衰弱して37歳で息絶えました。
「小言いふ、相手のほしや、秋の暮れ」妻が、亡くなってから詠んだ句でした。「菊」
に続いて3男の「金三郎」も死んでしまい、一茶は61歳で再び天涯孤独になりましたが、その後、寂しさに耐えかねて、文政7年38歳の「雪」
と一緒になるが、肌が合わず離縁に終わります。
この時に一茶は再び中風を起こしたが、文政9年には連れ子のある、「やを」
と言う32歳の女性を妻に娶っています。
其の折に3度目の中風の発作におそわれて、享年65歳でその生涯を閉じていますが、「やを」
は翌年4月に「やた」
と言う女の子を産んでいました。
画像は、足立区六月(むつき)の「炎天寺」での俳人小林一茶の像ですが、「痩せ蛙負けるな一茶是にあり」の句もあります。此れは、一茶が蛙合戦で、激しく争っているのを見て、「負けるなょ」
と痩せ蛙を声援している句ですが、句碑のある竹ノ塚辺りは、最近は其の面影も忍べませんが、当時は蛙も多く蛙合戦が、見られたと言はれていました。毎年11月23日に恒例の「一茶まっり」があり「俳句大会」
と共に、ユニークな「蛙相撲」
の行事も行われています。
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コメント
ご無沙汰です。何時もメール訪問書き込み等本当に有難う御座います。色々苦労しましたがぼちぼち復活寄せて貰い楽しませて頂きます、宜しく。
投稿: しらくも | 2008年5月28日 (水) 14時24分
待ちぼうけの家とともに、すっかりご無沙汰しておりますうちに、
このようなすばらしい記事がアップされていたとは、
感謝感謝でございます。
投稿: 気市呉いちご | 2008年7月11日 (金) 22時14分