野口英世。
野口英世は、明治9年福島県の貧しい農家の長男として生まれ、まだ幼い1歳の頃、囲炉裏に落ちて左手に大火傷を負いました。明治22年、猪苗代高等小学校教頭、☆小林栄☆に其の成績を認められて、同校入学。渡部医師から大手術を受けています。この事が、
英世に医学者を志すきつかけと成ったと言はれていますが、その後、医学の勉強に励み、渡米後は業績を残し、世界各国での評価を不動のものとしています。異国で黄熱病を研究するも、其の病に感染して死亡しましたが、明治33年。
英世が渡米して、
ペンシルバニア大学の研究室から
ロックフェラー医学研究所に籍を置いていた頃。職員の夕食会に、
メリーは、
女性ピアニストとして呼ばれて、其の旋律は宴に華を添えました。
英世の脳裏には確かに
彼女の顔は記憶されていたが、新しい場所で、いつ寝たのか判らない程に研究の虜に成っていた
英世の姿に同僚達は「研究の虫」と呼んでいました。其れから数年後に偶然、2人は街頭で出会って、
英世は持っていた「薔薇の花束をメリーに捧げた」とG・エクスタィンは述べています。
彼女はアィルランド系移民の家に生まれて「生きるために精一杯の貧しい移民の家族」で
メリーもピァノを弾くショービジネスに従事していたと言はれています。結婚のいきさつは、
メリーはマートルと言う15歳の少女と同居していましたが、
英世は度々、其のアパートに出入りして、マートルにも恋人が出来て、4人ともに意気投合して、
英世が
メリーに「結婚しょう。」と言ったので、早速、☆民事判事☆を知り合いのバーテンから紹介して貰い、結婚は成立しましたのが、
英世34歳
メリーは35歳の時でした。結婚したが、2人共に経済観念に乏しく、浪費癖も共通していたので、生活は苦しかった様でした。翌年に日本から
英世に、縁談を勧める手紙が届きましが、其の返事もしないで、後年、
英世は
彼女を紹介する手紙を送り「
メリーとは数年来の付き合いで、性格も正直で親切なる者に有之」と書いてありますが、渡米の際、東京の斉藤ます子との結婚を前提で斉藤家から費用を出して貰っていたので結婚詐欺と言はれたり、又、研究所の女性助手と噂になった事もあった様でした。只、昭和3年。英世が黄熱病の研究の為にアフリカに発つと、
メリーに愛情あふれんばかりの手紙を送っていますが、死を予感して気力も衰え
メリーに甘えたかった様でした。訃報が
メリーに届くのは其の直後でしたが、
彼女は
英世が残した財産から日本に送金を続けて、それは日米開戦まで続き終戦から2年後に
彼女は世を去りました。尚、
メリーはニューヨークの墓地で
英世の横で寄り添うように眠っています。画像は上野「東京芸術大学」の☆大学祭☆で神輿と、其れを担ぐ威勢の良い、女子学生の晒しに半纏姿でした。


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