熊谷直実。

祇園精舎の鐘の声、諸行無情の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す。
奢れる人も久しからず、ただ、春の夜の夢の如くで、始まる平家物語での☆平敦盛☆の最後は、西国に追われた平家が、一ノ谷(兵庫県神戸市)まで戻り、陣をかまえましたが、寿永3年源義経が、ひょどり越えから急襲すると平家の軍勢は忽ち敗走しました。
「熊谷次郎直実」は「戦破れになれば、平家の公達は水際の方へ落ちて行くだろう。と考えて磯の方に駒を進めましたが、其処に浪打ちぎわを逃げようとした、
鍬形打ったる兜の緒を締め、黄金作りの太刀を履き、滋藤(しげとう)の弓を持ち連銭葦毛の
馬に乗ってる武者一騎を呼び止め、
熊谷直実が「敵に後ろを見せるのか」と一騎打ちをし、返る処でむんずと組み取り首を欠かんと、兜を押し上て見ると歳の頃16~7才程で薄化粧に染めた若者の顔に我が子の小次郎と似た容貌も、誠に可憐であり、
「名乗りなさい助けましょう。」と言えば
「汝は誰ぞ」との問いに
「武蔵の国の住人、熊谷次郎直実」と名乗ると
「名乗る事はない、首実検をすれば判ることだ」とけなげに答えた。
「首を取って人に問え」と臨み、
熊谷直実はこの殿の両親が、討たれたと聞いての嘆きは、我が子小次郎が薄手を負っても、心苦しくなる親の気持ち、察して余りあり、
「助けましょう。」と声をかけたが、
「疾く首を取れ」との言葉に後ろを見れば味方の軍勢50騎ばかりが、走って来るのを見て
「よもや逃れられず、後世の為のご供養つかまっる」と心も消え果てて、前後不覚のうちに首を取りましたが、
「弓取る武芸の家に生まれなければ、かかる憂き目に逢わずとも」と、さめざめと泣き、鎧、直垂を取って、首を改めた時に、錦の袋に入れた名笛☆小枝☆を、腰に差しているのを見て
「暁に城の内にて☆若葉の笛☆を吹く、此のお人こそ平敦盛殿」と知り☆いとほしや☆と、かき口説き首を抱き、袖で顔を覆い涙を流したと、平家物語で語られています。幼い
平敦盛の首をはねた
熊谷直実は、空しさから仏門に入る決心をして、法然上人を訪れて、教えを受け佛門に入つた
熊谷直実は、出家して法然上人より
「法力房蓮生」と言う法名を与えられました。法意で、佛門に入った
熊谷直実は☆
平敦盛☆を弔うために高野山に「熊谷寺」を建てた他にも、京都と熊谷(熊谷市)の間を行き来し各地に寺を建て念仏の功徳を説き、名僧と言われましたが、後に熊谷郷に帰り草庵に住み、熊谷寺(ゆうこくじ)が
「熊谷直実」の☆菩提寺☆と成っています。今年は「源氏物語」の☆千年祭☆と言はれていますが、
熊谷直実の何と!☆8百年忌☆も近いと言はれています。画像は、
六本木ヒルズ52階の
「東京スカイショツト」の
☆ハロウィンバージョン☆での撮影でした。
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コメント
祖父は熊谷市の出身で、「熊谷寺」ゆうこく寺が菩提寺だったと母から常々聞かされていました。
いちごは行ったことはありませんが、熊谷次郎直実なつかしく拝読いたしました。
投稿: 貴市呉いちご | 2008年11月12日 (水) 21時33分