樋口一葉の悲恋。
さて、
☆樋口一葉☆(奈津)が
桃水と会ったのは、
妹の「くに」の紹介で、
☆半井桃水☆と初めて会う約束をしました。其の日は、霙(みぞれ)混じりの
雨が降り、家を出た19歳の
一葉(奈津)は、東京朝日新聞社に執筆して記事も書いている
☆半井桃水☆に、指導を受る為に訪れました。挨拶を交わした後、言葉少なく、静かに対応している
一葉(奈津)に、
桃水は「
読者の興味を誘う様な小説を書いて、批評家から非難されています。」と
桃水の方から話しの口火を切って快活に笑いましたが、
桃水は色白で、背が高くて逞しく、それでいて穏やかで優しく見えました。
一葉(奈津)の目的は
桃水に小説の師匠に成って貰うお願いだったので、「話は伺っています。苦しいでしょうが、何時でも話し相手になります。」との
桃水の言葉に、
一葉(奈津)の目から涙がこぼれそうに成りました。
桃水は感激する
一葉(奈津)に「田舎者の風習で失礼ですが、」と、断りながら身体の温まるお汁粉を作る為。隣家
に鍋を借り行き、おかみさんの
「お楽しみですね。」の冷やかしの声を聞きながら食を共にします。夕暮れになり、
一葉(奈津)は
人力車を呼んでもらい帰途につきました。この時に今までに、受けた事のない程の優しさを、
胸に秘めて帰宅しましたが、其の時から
一葉(奈津)の
桃水への思いは、其の胸の奥に深く秘めて付き合う程に心は弾み、
桃水との語らいに刻を忘れる程に通いましたが、何時訪れても変わらない、やさしさに、
桃水への想いは其の胸に育ちました。翌年、
一葉(奈津)は新しい小説の講評を請うために
桃水宅を訪れますが、
一葉(奈津)が
桃水に会うと、近く「同人誌武蔵野」を発刊するが、寄稿して欲しいとの話に、早速、持参した「闇桜」を渡しますと
「此れは良い是非お願いします。」と
桃水の表情が輝き、この時の処女作品「闇桜」を
「樋口奈津から樋口一葉」
の筆名で発表して、
桃水は「創刊号は此の作品の為にある様なものだ」と伝え、
桃水に求められる儘に、2号に「たま襷」を発表。3号に「五月雨」を寄稿しました。しかし「武蔵野」の売れ行きは悪く、発刊も危ぶまれ
桃水は当時の文壇の第一人者、
尾崎紅葉に
一葉の指導を託しました。
一葉も家計のために、下谷竜泉寺町に雑貨屋を開きましたが、翌年に店をたたみ、本郷丸山福山町に移つた
一葉は、頂き物を持って、
桃水の自宅を訪れますと、
桃水は歓迎して呉れました。
一葉も会った瞬間から
桃水への思いを、せき止める事は出来ない儘に「たけくらべ」を連載。「にごりえ」と一気に
一葉の名を世に広めましたが、明治29年8月。
一葉は肺結核。もはや絶望との診断結果が伝えられ死期を悟り。「
桃水様が、野辺を歩く時には
蝶になって、お袖の辺りで戯れましょうか」と述べて11月23日午前。
一葉は24歳で
桃水との悲恋の生涯を閉じています。画像は☆
浅草寺☆の大提灯。下谷竜泉寺町に一時、住んでいた
一葉も、この大提灯を通って、
観音様を参詣した事でしょう。
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