« 華岡青洲。 | トップページ | 小野小町の生涯。 »

2009年4月23日 (木)

樋口一葉の悲恋。

Dscf1242_2 さて、virgo☆樋口一葉☆(奈津)leo桃水と会ったのは、chick妹の「くに」の紹介で、leo☆半井桃水☆と初めて会う約束をしました。其の日は、霙(みぞれ)混じりのrain雨が降り、家を出た19歳のvirgo一葉(奈津)は、東京朝日新聞社に執筆して記事も書いているleo☆半井桃水☆に、指導を受る為に訪れました。挨拶を交わした後、言葉少なく、静かに対応しているvirgo一葉(奈津)に、leo桃水は「bell読者の興味を誘う様な小説を書いて、批評家から非難されています。」とleo桃水の方から話しの口火を切って快活に笑いましたが、leo桃水は色白で、背が高くて逞しく、それでいて穏やかで優しく見えました。virgo一葉(奈津)の目的はleo桃水に小説の師匠に成って貰うお願いだったので、「話は伺っています。苦しいでしょうが、何時でも話し相手になります。」とのleo桃水の言葉に、virgo一葉(奈津)の目から涙がこぼれそうに成りました。leo桃水は感激するvirgo一葉(奈津に「田舎者の風習で失礼ですが、」と、断りながら身体の温まるお汁粉を作る為。隣家cherryに鍋を借り行き、おかみさんのheart「お楽しみですね。」の冷やかしの声を聞きながら食を共にします。夕暮れになり、virgo一葉(奈津)carouselpony人力車を呼んでもらい帰途につきました。この時に今までに、受けた事のない程の優しさを、heart胸に秘めて帰宅しましたが、其の時からvirgo一葉(奈津)leo桃水への思いは、其の胸の奥に深く秘めて付き合う程に心は弾み、leo桃水との語らいに刻を忘れる程に通いましたが、何時訪れても変わらない、やさしさに、leo桃水への想いは其の胸に育ちました。翌年、virgo一葉(奈津)は新しい小説の講評を請うためにleo桃水宅を訪れますが、virgo一葉(奈津)leo桃水に会うと、近く「同人誌武蔵野」を発刊するが、寄稿して欲しいとの話に、早速、持参した「闇桜」を渡しますとapple「此れは良い是非お願いします。」とleo桃水の表情が輝き、この時の処女作品「闇桜」virgo「樋口奈津から樋口一葉」virgoの筆名で発表して、leo桃水は「創刊号は此の作品の為にある様なものだ」と伝え、leo桃水に求められる儘に、2号に「たま襷」を発表。3号に「五月雨」を寄稿しました。しかし「武蔵野」の売れ行きは悪く、発刊も危ぶまれleo桃水は当時の文壇の第一人者、dog尾崎紅葉virgo一葉の指導を託しました。virgo一葉も家計のために、下谷竜泉寺町に雑貨屋を開きましたが、翌年に店をたたみ、本郷丸山福山町に移つたvirgo一葉は、頂き物を持って、leo桃水の自宅を訪れますと、leo桃水は歓迎して呉れました。virgo一葉も会った瞬間からleo桃水への思いを、せき止める事は出来ない儘に「たけくらべ」を連載。「にごりえ」と一気にvirgo一葉の名を世に広めましたが、明治29年8月。virgo一葉は肺結核。もはや絶望との診断結果が伝えられ死期を悟り。「leo桃水様が、野辺を歩く時にはheart蝶になって、お袖の辺りで戯れましょうか」と述べて11月23日午前。virgo一葉は24歳でleo桃水との悲恋の生涯を閉じています。画像は☆house浅草寺☆の大提灯。下谷竜泉寺町に一時、住んでいたvirgo一葉も、この大提灯を通って、cute観音様を参詣した事でしょう。

|

« 華岡青洲。 | トップページ | 小野小町の生涯。 »

ブログのカテゴリー」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 華岡青洲。 | トップページ | 小野小町の生涯。 »