小野小町の生涯。
平安時代初期の和歌の名人六人を、世に
六歌仙と呼びましたが、中に唯一人の女性が
☆小野小町☆で、絶世の美女であつたと伝えられています。
小町もさまざまな伝説に彩られましたが、
小町のもとに九十九夜通って死去した
深草の少将の話は余りにも有名です。其の頃、
小町も自らの容色の衰えに気が付き
「花の色は移りにけりないたずらに、我が身世にふるながめせし間に」と、嘆いたのは、自然と考えられます。さて、昔から
☆小野小町☆の事を書いたものには、
小町は段々と落ちぶれて、八十島(松島)と言う処の野辺で、野倒死をしたとの伝説が、甚だ有名な話となっています。そして
小町も遂に、野晒しの白骨となってしまった。と言う
在原業平の伝説もこれから出たと言はれています。或日。
野辺のほとりで
若者が、うたた寝の中に
☆小野小町☆が現れて
「吹きむすぶ風は昔しの秋ながら、ありしにもあらぬ袖の露かな」と、其の昔の身の若かりし頃。若殿達を悩殺して、引く手数多であった事を述べる姿に目覚めると、枕元に
卒塔婆があり、誰あらざんと見てみれば、野倒死んだ
☆小野小町☆の卒塔婆であつたとの事から、この伝説が薪能の
「卒塔婆小町」となって上演したと言はれています。インターネットで検索した
☆小野小町☆には、大本山随心院に、
小町の晩年の姿を写したと言はれている珍しい
「卒塔婆小町」の
座像があります。歳老いて一族の所領で生涯を閉じる旅の途中の高郷村で、病に伏して生涯を閉じたとも言はれて、会津の古道に
「みちのくのうどの桜と人問はば、会津のそとのとうもての里」との最後の詠み歌もあり、
五輪の塔が残っていると言はれています。兎に角、数多い名歌と共に、華麗な恋の遍歴を重ねた彼女も、晩年はミステリアスな伝説に満ちた生涯であったと、無明抄に述べられています。諸説はいろいろあり、その末期は定かではありませんが、只、恋多き伝説に彩られた才色兼備な美女で有りました。六歌仙の一人と言はれた
☆文屋康秀☆は、
☆小野小町☆と歌の同好で交際があり、
☆文屋康秀☆が三河に赴任する時に、田舎見物に行きませんかと
小町を誘っています。此れに対して
小町は歌を詠んで「わびぬれば、身を浮き草の根を絶えて誘う水あらばいなんとぞ思ふ」この世に楽しみもなくなりました。誘って下さるのなら何処へでも行きましょう。と返答しましたが、これが有名な「誘う水の詠」であり、
小町の様なプラィドの高い女性でも、老いてからの恋は思う様には、成らなかった様子でした。
☆小野小町☆の縁の寺・随心寺(京都市山科区)には、
小町が男性から貰った千通の恋文を埋めたと言う、☆文塚☆が残っていますが、寺では、現在でも紅葉の季節になれば、月に雁を想い。
鹿の鳴き声には、歌人の
☆小野小町☆を連想すると言はれてます。画像は、上野のお山の花見で、☆KOTA☆と☆おっと☆と言う全国各地で活躍中の2人組の
〔夫婦〕のクラウン〔道化師〕
でした。
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