在原業平。
紀貫之(きのつらゆき)は、古今和歌集の和歌の名手として、僧正遍昭。
在原業平。文屋康秀。喜選法師。小野小町。大伴黒主。の6人をあげていますが、いわゆる六歌仙で、この中の第2番目にあげた
在原業平(ありはらのなりひら)は、「在5中将」と呼ばれ。皇統の血筋でありましたが、風流の道に身を投じて其の生涯は、
在原業平の1代記風の歌物語「伊勢物語」として残されますが、
業平は眉目秀麗な美男子で、其の境遇を好色と歌に逃避したと言はれています。
在原業平は、後の
清和天皇の妃。二条の后。
藤原高子(ふじはらたかいこ)が未だ18歳の姫君で、
業平35歳の時に、毎夜通って逢う瀬を楽しみましたが、やがて
業平は、天皇の妃に成るための姫君を、横からつまみ食いしたと、宮廷人士の指弾にあって、
「伊勢物語」で有名な章段の「東下り」になります。
在原業平も暫くの間、東国に赴き、其の道中で綴った歌に、有名な「名にし負はば、いざ言問はむ、都鳥。わが思う人はありやなしやと」と、恋しい
藤原高子を偲んで詠んだ歌もありました。又、
在原業平は
「伊勢物語」で
業平の歌を骨子に、代表的作品と言はれる、「在五中将物語」を作ったとも言はれています。特に「ちはやぶる神代もきかず竜田川
唐紅(からくれない)に水くくるとは」の歌は、不思議な事の多い神代でも聞いた事がない。青い竜田川の流れを絞り染めの池として、
唐紅の布の様に、
美しい紅葉を模様に染め出して(水くくる)いる様で、実に美しく不思議な状景である。と歌っていますが、誇張された奇抜な表現と生き生きとした大胆な言い回しが、
業平の特色と言はれています。其の他にも
在原業平は「伊勢斉宮内親王」に思いを打ち明けて一夜を共にしましたが、☆
伊勢斉宮☆とは、伊勢の大神に仕える
清浄な女性であり、何人も侵してはいけない、☆神聖な女性☆と言はれ、翌朝
斉宮から「君や来し、我れや行きけん思ほえず、夢かうつつか寝ても覚めてか」(貴方がおい出になったのか、私が伺ったのか、あれは夢だったのか、うつつだったのでしょうか)と、思いを込めた歌が
業平に贈られました。後年。二条院に住んでいる
高子を偲んで、
業平が庭の梅に目をやり、月が傾くまで、昔を思いつつ詠んだ「月やあらぬ、春や昔の春ならぬ、我が身ひとつはもとの身にして」(この月は昔の月と違うのか。この春は昔の春と違うのか。我が身だけは昔のままなのに、彼女だけがいないとは)と悲恋の身を歌っていましたが、
在原業平も元慶4年5月28日56歳で没して、5月28日は、京都の菩提寺。西京区大原野。十輪寺で「業平忌」があり歌を詠み、京舞が奉納されて、11月23日には業平紅葉の天ぷらが振る舞われています。画像は「伊豆高原駅」の☆伊豆テディベア・ミュージァムでの撮影。☆でした。
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