2006年5月13日 (土)

石川啄木と、妻、節子

明治43年12月に歌集「一握の砂」が刊行されて、文壇における石川啄木の存在を、不動のものとしましたが、長男の夭折に依る落胆と共に、啄木の体力は衰え始めました。其の翌年。節子をめぐつて騒動が起こり、それは、節子の義理の兄である郁雨との不義疑惑と言う事でした。責められて節子も涙を流しましたが郁雨には潔白であると言はれて真相は解りませんでした。此れは節子にとつても心晴れぬ気持ちでしたが、明治44年4月に極貧生活の中で、啄木も寂しい生涯を閉じ、又啄木の悪化する身体の介護に萎えたのか節子も肺結核を患い45年5月に死去しました。

| | コメント (0)

啄木の淡い恋。「一筋の血」

薄幸の詩人。と言はれた石川啄木は「働けど働けど我が暮らし楽にならざり」の詩の様な虚無的な暗さを伴った生活が続きましたが、そんな啄木にも悲しく淡い初恋があり「赤き花。今も目に見ゆ六歳の恋。」と歌っています。其の人は藤野と言う黒味勝ちの目がパッチリとした色の白い、笑窪の可愛い美少女でした。同じ歳の新太郎(啄木)を、姉の様に面倒をみて、啄木も淡い恋心を抱いていましたが、八歳の時に水車に挟まれて死んで、六尺に足らぬ穴に葬られ、上に青草が生える悲しみを覚えたと、啄木の「二筋の血」に書いてあります。

| | コメント (0)