石川啄木と、妻、節子
明治43年12月に歌集「一握の砂」が刊行されて、文壇における石川啄木の存在を、不動のものとしましたが、長男の夭折に依る落胆と共に、啄木の体力は衰え始めました。其の翌年。節子をめぐつて騒動が起こり、それは、節子の義理の兄である郁雨との不義疑惑と言う事でした。責められて節子も涙を流しましたが郁雨には潔白であると言はれて真相は解りませんでした。此れは節子にとつても心晴れぬ気持ちでしたが、明治44年4月に極貧生活の中で、啄木も寂しい生涯を閉じ、又啄木の悪化する身体の介護に萎えたのか節子も肺結核を患い45年5月に死去しました。


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